今日はひとがいっぱいいるぞー!と意気込んで行ったのだけれど、
なんかよくわかんないけど、少なかった。
ので、当初の予定を変更して、
作品について語らう会を開催。
昨日、ふと、
この作品は、自分のあたまの中のことより大きいぞ。。。
と、思ったんですけど、
それは、まぁ言ってみたらなんでもそうかもしれないんですけど。
それがね、やりたくて、こういうつくり方をしてるわけです。
いまある台本にうっかりだまされてたこととか、
このあと、これはどういう展開をしてゆくのか、とか、
こういうのどうかしら?とか、
これは誰の物語なんでしょうか、とか、
そういうことを話したわけです。
同じ引き出しでも、
同じようなアウトプットのものはやりたくないでしょう。
見たことあるintroはもういいでしょう、とわたしは思っていて、
常に更新、がうちの命題である以上は、
原点が同じでも、違う景色にしていきたいわけです。
そのための、大人数、なんですけど、
なんかどうもうまく機能してないよなってのが正直なところ。
稽古に来ないっていうことがどうもよくわかんないんですね、わたし。
そもそも来ないってどういうことだかわかってんのかなあと思う。
これは愚痴っぽい匂いもありますけれど、
愚痴というよりは、ほんとうに問題だと思うのだ。
ひょっとして、そういうことがまかり通るような現場が数多くあるならば、
一週間に一日とか、二日、とかの稽古だけで作品を発表するような現場が多くあるならば、
わたしはちょっとそれどうだろうと思う。
(そもそも稽古は一週間に二日しかやりません、という現場ならば別だけど)
来ないぶん用意してくるならば百歩譲ってやってもいいけど、
だいたい来ない人って用意してこないしね。
するってぇと、意識の問題だとしか思えない。
演劇をするっていうことの意識、というとなんだか大げさな感じするけれど、
人前に立つってことを舐めてるとしか思えないわけです。
誰がそんな人を、練習もろくにしてないただの人をお金はらって見たいかね。
練習しなくていいのは北島マヤぐらいだよ。(非実在ガール)
こう書くとなんだか嫌われそうな感じするけど、
わたしは、そういう俳優は淘汰されてしかるべきだと考えている。
わざわざみんなで生き延びさせておかなくてもよろしいと考えている。
なぜなら、わたしは面白い演劇がつくりたいし、面白い演劇が観たいからです。
てゆか、こういうこと書くと、
そもそも稽古場で行われてることがつまんねーから行かないんじゃないの?
なぁんて言われそうだけど、それとこれとは一致しないでしょう。
いやいや、思うよ、
確かに、自分でも、ひょっとしたら面白い稽古できてないからかな…?
なんて殊勝なこと考えるよ。
けど、サービスで演出やってんじゃねぇし、って思うよ。
お客さんのこと考えて作品つくってんだもの、
俳優はお客さんじゃないもの、チームメイトだもの。
そういうことに対峙しないと、
質を保証できないと思っているんです。
テイストの問題ではなく、質の問題。
好き嫌いだけじゃない世界に早く行きたいもの。
なかなかわかってもらえないのかしらねー。
それでもわたしは名作をつくるけどね!!