久しぶりに、何もしない日にした。
寝てばかりいた。
ほんとにわたしは、ずっと寝ていられる。
困るし、それが好きだったりする。
二月の最初の日に、
うちのドナちゃんが逝った。
夕方、母からのメールで知り、急いで仕事を済ませ、帰宅した。
まだ、暖かかった。
でも、動かなかった。
もう何年も、何度も危ない時はあって、その度にまわりは覚悟をしながらも、越えてきた。
が、逝くときはすんなりだ。
痛がらず、すうっと、終えたらしい。
さんざ泣いた。
動かないドナちん、呼んでも動かないドナちん。
とにかくたくさんさわった。
わたしは、犬アレルギーだ。
かゆくならないな、と、思った。
母が、晩御飯を用意してくれた。
食べれないかもしれないけど、と言った。
けど、わたしは、食べなきゃいけないような気がして、食べた。
そして、稽古に行った。
行かなきゃいけないと思った。
途中、ソウルフラワーユニオンを聴いた。また泣けてきた。
バカバカしいことを真剣に悩み、大笑いして、稽古は終わった。
帰って、わたしはドナと一緒に寝ようと思っていたのだけど、
すでに母にドナはとられていた。
翌朝、ドナは冷たくなっていて、かたくなっていた。
ドナに触れるのが最後だとおもったら、また泣けてきた。
こういうとき、
わたしはどうも吐き出しきらないことがよくあって、
ちゃんとかなしむ、というようなことをおろそかにしがちで、
だから後々、ふとしたときに響いたりする。
もらったメールには、そういうことが書いてあったような気がして、とてもたすかった。
14才のときに、猫のメメが逝ったとき、
うちの家族はなんて薄情なんだ!と憤慨したんだけど、
その意味もようやっとわかった。
このひとたちは、そうしないといけないのだ。
14才のとき。わたしは、わからなかった。
祖父を亡くしたのもその年で、そのときもわからなかった。
今、わたしは確実に生きていて、確実に死に向かっている。
だからどうってこともない。
いつのまにか、それを知っていた。
だから、生きるほかないのだと、思うの。
わたしはドナがだいすきだった。
なかよしだった。
だから、ドナが死んで、わたしはとてもかなしかった。
つけたし。
ドナとお別れした夕方、
あのひとの歌が聴きたいわと思った。
何故かはわからない。
ネットに転がってるのを聴いた。
僕の隣に君がいなくても。
この曲でよかったと思った。