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【intro】 イトウワカナの悲喜こもごも
http://intro-sapporo.com/ ★★ intro 「ブルーマウンテン号の卵と間違い探し」 8.18〜8.21 @札幌・ターミナルプラザことにパトス ★★コンカリーニョプロデュース公演「親の顔が見たい」演出2016年秋 |
高校生のとき、倫理の授業があって、
それは1年生の1年間のみの授業だったのだけれど、
わたしは倫理の授業が嫌いであった。
世界の哲学者の思想をおべんきょする「倫理」
嫌いな理由は、イラっとするから、であった。
教科書だからか、
ほら、どんな哲学者も悩みから真理をみつけているよ!
みたいな、「悩み」先行な書き方をしていたような気がして、
たぶんそれがイヤだったんだとおもう。
特に嫌いな哲学者は、キルケゴールで
(キルケゴールしか覚えてないくらい嫌いなやつだった)
16歳のわたしには、どうでもよろしいことでくさくさしているやつ、にしか見えなかったのだ。
イラっとするから、当然「おべんきょ」としても覚えるわけもなく、
倫理のテストは赤点で追試だった。
倫理の授業など、あんまりみんな真剣に聞いてないので、
追試の人数もすごく多くて、けっこう大きい教室で追試をやった。
ちなみに、そのときの試験監督はちょうど社会の先生として教育実習にきていた大泉さんだった。
答案だしたら、「ごくろうさまでーす」といわれた。
先生に言われる言葉ではなかったので、新鮮だった。
ということを突然思い出して、
キルケゴールをなぜそんなに嫌っていたのか不思議になり、
ちょっとだけ調べてみた。
ああ、こいつだよ。と、肖像画を見て思い出したけど、
思想は別に、嫌いになる要素はなかった。
キルケゴール、と言ってるけど、キェルケゴールと表記するらしい。
発音は、キアケゴーらしい。
デンマークの人らしい。デンマーク語の名前らしい。
セアン・オービィ・キアケゴー
教科書にのってたキルケゴール君について。
好きな女と婚約したけど、キルケゴールが一方的に破談にして、
でもその女の子のことを一生思いつづけてて、
で、
その女の人とのことがキルケゴールの思想のカギですよ。
みたいなことが書いてあった気がする。
前述のとおり、「悩んで悩んで真理を得よう」みたいな教科書なもんだから、
キルケゴールのその彼女に対する悩みっぷりの記述はすごかった。
すげぇ、めんどくさいやつだった。
いや、改めてキルケゴール君のことを調べてもそのとおりなんだけど、
高校生のはつらつとした、竹を割ったような時期の女子にとっては、
ただただ、ひっじょうに面倒くさいやつにしか見えなかった。
なんだそれ。と思った気がする。
そんなんで悩んでれば哲学者になれんのか!とも思った気がする。
ある意味、悩んで大きくなるんです、という書き方の教科書にまんまと騙されていたのだ。
教科書会社の思惑とは別のほうで。
教科書に書いていなかった、
キルケゴール君がレギーネちゃんになんでそんなことをしちゃったのか、というところ。
どこにも書かれていないので真相はわからないらしい。
でもまぁ、育ちとか、宗教とか、そういうことが考えられるらしい。
まぁ、そういうこともあるよね、そういうことならまぁ、わかるよ。
むしろ、あなた逃げなかった人なのね、
って今は思えるから、
キルケゴール君、ディスってごめん。
アホだったんだ。ゆるして。
Søren Aabye Kierkegaard
セアン・オービィ・キアケゴー、実存主義の創始者。
土曜、東京へ。
着いてすぐ、先日あちらへ行った妹さんの様子伺い。
会う前に地震。
電車に乗っていたのでわからなかった。
その後、青山円形劇場で、
「その族の名は『家族』」
見ながら、トマリさんはこういうことを言っていたのか。と思った。
書く、ということをすごく考える。
たまたま、俳優さんのハケ口の真横の席だったのだが、
研ナオコさんが通り過ぎたその直後、
ものっすごい良い香りがした。
香水だと思うんだけど、ほんとうに良い香り。
ふんわ〜〜〜とただよう良い香り。
はじめてのよい香り。
きっと、普段からご自身がつけておられるだろうその香りは、
わたしにとっては、演劇の邪魔をまったくしなかった。
研さんの役とその香りと、そのタイミングで、涙腺崩壊した。
演劇みてて、香りにやられることなど、
おそらく後にも先にもこれだけのような気がする。
「かっこよさ、環境による格の違い」について考える。
確と見ときな格の違い!KIDSとKINGの箔の違い!
と、脳内ではライムスターが再生しました。
夜。
三鷹の駅でコンカリーニョ・小室さん、ZOO・笠島くん、
イシハラさん、女マネと合流。
今日のメインイベントは、これである。
ままごと「わが星」自腹でディスカッションツアー
観て、みんなで喋るという企画。
ちなみに、
「わが星」の音楽をやっている口ロロの三浦コーシくんの大ファンであるわたしですが、
今回の「わが星」は、コーシくんも劇場で音を出している情報を得て、
ただの口ロロファンになっていたことは言うまでもありません。
そういうこともあって、
戯曲も読んでたし、映像もみてたし、曲もきいてるし、の準備万端すぎる状態での観劇。
まだあんまり処理しきれてないので、饒舌になれませんが、
とりあえず、もう一回みたい。。
もう行けないよなぁ。いけないよなぁ。
演劇の文脈で考えももちろんするんだけど、
口ロロが好きすぎで、口ロロの文脈でも考えちゃってるので、
どうしても分散するぜ。
見たあとは、
川尻恵太もまじえて、酒のんで喋った。
まー喋った。
結局、オデがんばるよ!という結果になった。
深夜、風呂入ってプリン食べてたら、
猛烈にとある人に会いたくなり、しかしまったくマイナスの感情ではなくて、
そのままプイと寝たんだけど、
次の日、ああ、そういうことか、と合点がいった。
そういうことなんだ。きっと。あの作品は。
日曜。
新橋演舞場にて四月大歌舞伎。
御隣に座った方が、屋号の掛声をいれる「大向う」さんで、
すごい臨場感。
今回は、屋号だけでなく
「七代目!」「御両人!」も聞けて得した気分です。
あと、すっかり菊乃助が好きです。すっごくきれい。声もよい。
そのあとは、白玉おねいさんとお茶したのだけど、
もったいないから書きません。
まぁこうやって、
整理してるわけです。
あなたがいなくなったら、いやだなぁとか、
これができなくなったら、いやだなぁとか、
もちろんそれは、
ちょっといや、だったり、ほんとにいや、だったり、
そんなのかんがえられないってことまであったり、
ほんとうに、ものすごくいっぱいあって、
そして、いま、わたしの目の前に、ある。
失っていない。
失うかもしれないこともたくさんあるけど、
でも、いまは、目の前にあるのだ。
そして、手が触れる距離に、それはあるのだ。
その、すごくたくさんのあれやこれのことを
日常 と呼ぼうとおもう。
だから、わたしの日常が愛しい。
ちゃんと、手が届く。
遠くにいってしまわないように、
しっかりと手を握る。
むこうもわたしの手を握ってくれたなら、うれしいなぁ。
でも、ある日突然、ぱっと離されてしまう日のことばかり考えるのは、
もうおしまいにしようとおもうのだ。
ある光
部屋を片付けていたら、
2007年のものばかり出てきてこまった。
自分にまつわるものではない。
うまくいえないけど、むこうからやってきたような。
まったくもって来ては欲しくなかったんだけど。
ずいぶん昔のことのような気がしていたけれど、
数字にすると、ほんの少し前のことなんだなと思った。
わたしはそのとき、誰と一緒に居ただろうか、とか、
何をしていただろうか、とか思ったけど、いまいち思い出せないでいる。
わかるのは、
その時のわたしの日常は、いまとまったく違うということだ。
その時と変わらない日常もまた、あるということだ。
はじめてのきもちがぞくぞくとやってきて、こまっちゃうね。
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