ことほぐ 稽古始め。
訳あって、自然と、
踊るとこからスタートするという
めずらしい感じのはじまりであった。
やっぱし、踊りたくなっちゃうんだな。
体にしみちゃうものなんだなと、実感。感嘆。
誰か足りないなぁ、といつも思ってしまうんだけど、
それは気のせいではなく事実で、
足りないのは、加藤智之兄さんである。
大阪のひとのため、合流はまだまだ先。
GWには、independent:SPRにて
「マラソロ」という作品を札幌にぶっぱなしにくるので、
ぜひみなさん観にいってください。
で、智之兄さんがここに入ると〜と、考えたりする。
2回目の集合ながらも、ちーやんはすでに違和感がない。
ちーやんの持ってるものなのかしら。
作品のプランとかを簡単に、話したり、
どーでもいい話をしたり、する。
ロイヤルホストはすばらしい、という話をいつもしてしまう。
5・31札幌は初日だが、
ことほぐ、は、東京公演を9月にやるので、
実は結構長丁場な座組みなのだ。
ごりごりの日々を過ごしてゆくのである。
ドロップするものは、
ふわっふわのディープがいいなぁ。なんて、思っている。
今日は「自由」について考えた。
これは作品とは関係ない。
おおざっぱに言うと、
選ぶ、という行為ができるかどうかのことを言うんじゃないかと思うんだけど、
「選ぶことのレベル」が違うから、
自由、ちゅうことばは、ややこしくなるよなぁなんて思ったですよ。
日々は選択の連続だと思っているので、
常に自由じゃん、てのは、極論ですかね。
自由でいたいっていうのは、
選択の機会、選択肢、これらを自分自身で用意したいのです、ということで、
さらに、他者から選択を迫られるのは避けたいです、それも選択したいです、
てことなのかしら、と。
オメーが決めてんじゃねぇよ、ということだよなぁ、なんて、
最近話題のノマドワーカーの方のことを思っていたら、
そんなこと考えちゃったんですけどね。
ついつい熱っぽく書いてしまった。
年代的に近いから、わかることもあるんだよなぁ。
バブル恋しい時代に育った身として、
しみついている何かがあるような気がしているんです。
もう全然、そんな時代じゃないのにね。
こっわい。
もうすぐ31歳になります。
1981年生まれ。
ちーやんは、1991年生まれ。