体力がなくていけない。
はじめてのキャンベルスープは、もっとぐらぐらにすればよかった。
中学生とワークショップ。
その、違い、だけを、いまだにてこずっている大人がここにいるんだぜ。
それだけでいいのに、それだけを忘れそうになっちゃうんだよねぇ、と、
だから、必死でやったらば、
とってもつかれちゃった。
せんせいは、どういう台本をかくんですか、
というガールの問いに、
なんとも答えられなかったですよ。
シリアスなものですか、それとも、笑いのものですか、と
続けて聞かれたのですが、
その両方です、とははっきりと答えましたよ。
両方とも書くということですか、とガールはつづけましたが、
いえ、その真ん中を書くということです、とわたしは答えたのであります。
わたしは、どういう台本をかくんでしょうか。
どうもこうも、人間を書いております。
悲喜劇を書いております。
ことばにできないことがうまれるためのことばをかいております。
ドラマターグ西脇先生、第二夜。
だいたい、
なんかこうモヤっとしてるんですよねぇ、ということは、
他人から見てもそうなのである。
きょう現在、「ことほぐ」はまったくもってモヤっとしていない。
モヤっとしていないことにモヤっとしているのだ、あたしゃ。
モヤっとしていないことにモヤっとしているという、
非常に贅沢な悩みを抱えつつ、ああだこうだしてるわけなのですけど、
その、モヤっとしていないことにモヤっとしていることが、
とっても重要だったわけです。
モヤりたいんだよ。
書いてみなけりゃわからないことっていっぱいあるよねぇと、
毎回毎回思うのです。
思っていたより、わたしは、
何かしらを得ているようだ。
思っていたより、わたしは、
何かしらを済ませているようだ。
飽きているようだ。
もうそういうところには、いたくないようだ。
何も追うな。
追うものなど何一つない。
荷物など何一つない。
進む覚悟だけを持つがよろしい。
草だろうが石だろうが、踏みつけてゆくがよろしい。
言葉にならないあれのための言葉を書きます。
そのためでしたら、何もいとわないのです。