18年も前の話ですけれど、
当時、アホ中学生のわたしが出会ったひとの話をかきます。
そのひとは、大人で、
なんだかへんてこな大人で、
先生をやっていて、演劇をやっているひとでありました。
先生、と呼んではいましたけれど、
わたしの学校の先生ではなかったので、自分の学校の先生よりも距離がありました。
実際、わたしにとっては、先生、というより、
演出家、でしたので、
当時はそんなことには気づきませんでしたけれど、
あとから考えればその距離感は適切であったと思われます。
それでいて、
演出家、でありましたので、
自分の学校の先生よりは、ずっと距離が近いひとでありました。
アホ中学生ですので、おとなには見透かされるわけで、
そして演出家ですから、ずばずばといろいろと見透かされた発言をされたような記憶があります。
親でもなく、学校の先生でもないおとなに、
あれやこれやと己の内面のはなしをされたのは、そのひとが初めてでした。
14歳にはこれはできません、とかふつうに言いました。
現実を教えてくれました。
14歳にはこんなことができる!とも言いました。
なんでもできるような気分になりました。
たぶん、
わたしが初めて出会った「おとな」でした。
そのひとはなんだかいつも楽しそうでした。
とにかく楽しそうでした。
演劇つくるのって、たのしいものなんだなぁと、そのひとを見ておもいました。
なにより、そのひとのつくる演劇はすごくおもしろかった。
時は流れ、
だらだらと、そのまま演劇をやめれなくなってしまったわたしは、演劇をつづけていました。
そのうち、書くようになり、演出をするようになりました。
演劇やりてぇなぁとはっきり思ったのはたぶん、27歳ぐらいで、
そのころ、そのひとは中学生の演劇のワークショップにわたしを講師として呼んでくれました。
ほんとうに久しぶりの再会でした。
「ご活躍で。」なんて言ってました。
俺が教えた子で演劇続けてるやついないんだよ〜なんて言ってました。
伊藤は演劇大好きだったもんなぁとか言ってました。
中学生から演劇やってるなんて、なんだかむずがゆくって、どっか恥ずかしい気持ちもあったので、
あんまりお外ではゆってませんでした。
そんなでしたけど、ちょっと〜教え子なの〜?なんて周りにけっこうすぐバレはじめ、ついに、そのひとと対談する企画が。
対談、なんてまさか、そんなことをする時が来るとも思ってなかったので、
恥ずかしいやら、嬉しいやらでした。いや、嬉しかったです。とても。
その対談がきっかけで、中学生から演劇やってるという恥ずかしさもどっかいきました。
嬉しがってくれてるひとがいて、わたしも嬉しかったので、じゃあいいかってな具合で。
ワークショップで中学生にわたしを紹介してくれるとき、
「このひともみんなと同じように中学生でした。」と紹介してくれるのも嬉しかった。
2度目に呼んでもらった中学生のワークショップのとき、
ずっと見ててくれてて、すごく面白かった!と言ってました。わたしは単純に、先生にそう言ってもらえてすごく嬉しかった。
作品をみてもらうこともできました。来てくれたときはやっぱり恥ずかしかったけど、嬉しかった。
けど、わたしは先生をもっと喜ばせたかった。
先生からもらったぶん、先生に演劇を返せなかったなぁと、悔いています。
ちょうど、お知らせしたいことがあったのです。
とても、残念です。
わたしは続けてゆきます。
先生に返せなかったぶんは、別のひとたちに返してゆきます。
きっとそういうことなんだと思います。
そういうこと言うと、お前も年取ったな〜とか言うんだろうなぁ
いやほんと、どうもありがとう。先生。
おかげさまで、死ぬまで続ける気満タンだわ。
先生より、長生きするわ。
ほんと、ひどい失恋みたいな気持ち!
親愛なる竹生東さま
ほんとにありがとありがと